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植物的な匂いより、本当は動物的な匂いの方が好まれる?

動物たちより採られた芳香成分ですから、麝香とか龍涎香が動物性天然香料と言われますのは当たり前の事です。

 

とはいえ、香料市場だと「アニマル・ノート」といった香調のカテゴリーがあって、これは動物を装うような香りに向けて利用します。

 

ムスクとかアンバーまで広義のアニマル・ノートに位置するのですが、逆に明確にムスクとかアンバーの区分に入ることがありません、動物的と言うしか形容しがたい香りをアニマル・ノートに選り分けています。

 

それでは動物的な香りっていうのは何かと言いますと、これはもうムスクとかアンバーとかシベットにつながる香りの感じと言うしか回答しようにがありません。

 

こんなんではこれらの香りを嗅いだ経験がない人間においてはまったくなんのことであるかさっぱり見当が付かないのであって、香りに関して言語で言い表す困難さという事となってくるでしょうが、意図して余すところなく簡単に言えば、動物園の動物たちといっても、鳥とか爬虫類じゃなくって、哺乳類、さらにはネコ科の猛獣とか霊長類の方が良いでしょう。

 

 

こういった類の動物たちの檻においては、糞尿と動物の身体より放出する臭気の混じり合った、個性あふれる強烈な臭いがあります。

 

取り立てて芳しい匂いじゃないですが、ずばり「動物」の臭いです。換言すれば、動物の身体より分泌される臭気という部分で、広義の「体臭」と等しいです。

 

 

昨今では体臭と言えば、すかさず、取り除きたいもの、恥ずことが当たり前のもの、臭いものだというイメージが働きます。

 

異臭の筆頭みたいにすらなっています。

 

人間はクリーンであることを張り合い、衛生的なのは臭いゼロであると言わんばかりと、自分自身の身体から出る臭気を取り除くことに積極的になっています。

 

人の体臭に関してさえこんな風ですから、動物の体臭においてはこれ以上で、俗にいうペット臭の消臭剤が売れ、動物園の臭いが気持ち悪いからと言うので動物園に出向く子供たちが減少しているらしいです(恐らくその保護者のせいでしょうけど)。

 

 

このような状況は、いずれの時世においてもいかなる場所であっても見受けられたということなどないのは明白で、体臭が性的チャームポイントと考えてられていたり、それほどまでいかなくても最低限でも体臭を毛嫌いしない文化はいくつでもあります。

 

未開社会の中では、個々の体臭よりも部族とか性が原因の体臭の相違に根差している1つの価値系統に近いものが見られるというのが良く知られています。

 

例えば、ブラジルのスヤ族だと、成人男性の人は安らかで素敵な香りがするのですが、女性の方は激しく危うい匂いがすると考えられています。私達の普通の捉え方とは対照的なこのような実例からしても、体臭に関する感受性と言いますのは大いに文化様式に左右されるものだということが分かります。

 

現在の私達の「体臭嫌悪」といった捉え方だって、つまり私達特有の、清潔さとか自身の身体、臭気といったものに対する解釈とか印象、分かち合う価値観の果てに存在するものなのです。

 

 

欧米においても、体臭とか腋の下の臭気を愛おしく思う割合が今までは大いに広範に見受けられ、香水の利用は昨今の私達が望むみたいに体臭を覆い隠すことを狙ったわけではなく、逆に腋の下の臭気を目立たすために取り入れられてきたと想定したハヴロック・エリスみたいな人物までいます。

 

フロイトと間をおかず同じ代に活躍した性科学の開拓者の1人であるエリスは、大著『性の心理』内で、「香料というのは、体臭といった自然の匂いが魅力的と見做される際はこれをさらに強くすることを狙って、不愉快と見做される際にはこれを秘し隠すことを狙って取り扱われた」と語っています。

 

仮にそうだとしたら、人類だって動物である以上その体臭は動物臭がして普通ですから、体臭のアピールを意識してムスクとかアンバーも含んだアニマルノートは役に立つといったことになります。

 

 

同じ様にエリスによると、19世紀終わりに『女性の香り』という書物を出版したオーギュスト・ギャロパンは、特定の女性の腋の下は龍涎香またはヴァイオレットの香りがして、金色の髪を有する人種の腋の下は麝香の香りを出すと言及されているらしいです。

 

バラとかオレンジの香しさがするよりも、私達としてはそういった香りがするほうが普通の状態に感じられます。

 

人類だって動物であるなら、植物みたいな香りがするよりも動物的な香りが漂って然るべきなのです。

 

 

ムスクの芳香を女性の腋の下の臭気とか体臭に結び付ける実例は数多くあって、その上その香りは性的なパワーの源という形で作用されることが大半です。

 

麝香の保持する魔法の実績を理解した私達としては、ムスクにそっくりの香りが媚薬のように機能するというのはごく自然に思えるのですが、思い切り考えたら、事例のプロセスは逆だったかもしれません。

 

すなわち、腋の下の臭気とか体臭が気に入られてきてくれたからこそ、この香りにそっくりのムスクが媚薬の形でのパワーを保持する風になってしまったかもしれないといったことです。

 

体臭の中にある、ひときわ性的なチャームポイントを有する香りの抽出物に近いものにムスクの芳香が近かったから、その香りを利用し出したそれ故、いつからかこれが媚薬の効能を有する感じになってしまったという風には思えないでしょうか。

 

 

これを裏づける感じに、人の腋の下よりムスク臭を持つ物質が発見されています。

 

腋の下に当てたコットンパットより取り出して見つけ出されたアンドロステノールと呼ばれる物質は、しなやかで少々パウダリーなムスク感と、白檀と同じ様な香り持ち、媚薬みたいというと、これほどまでにこの表現にピッタリ合う香りは存在しません。

 

 

アニマル・ノートが芳香成分の実績の下でずっと活用されてきた裏には、アンドロステノールに始まる身体の臭気が、花とか果実の芳香と同じく方々に気に入られてきたという実態が見られたことも考えられるのです。

 

身体の香りとしても、とにかく腋の下の臭気は性的な魅力のものと考えられ、そのためこの臭気みたいなアンバーとかムスクが媚薬みたいなものと考えられるになったと捉えることだってできます。

 

けれど、仮に香料の誕生が媚薬にあって、媚薬の原型が体臭だとすれば、今日の私達がこの体臭を媚薬みたいに認識できないまでもなく、かえってそれを毛嫌いして、匂い除去に積極的になっている現状をどのように解釈すると良いのでしょうか。

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