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「性」と「匂い」が関連していた歴史

山羊が発情期に特徴的な臭気を放ったり、犬が自らの縄張りを尿でマーキングを行ない、常に匂いを嗅ぎ回っている状況を目にすれば、動物たちがどれほど匂いを大事な情報源と捉えているかについては予測がつきます。

 

私たちが視覚とか言葉により受け取っている情報を匂いにより感じているのであって、例えばヌード画像でもラブレターでも匂い、民家の表札でも名刺でも匂い、身分とか称号すら匂いとされるみたいな世界を考えれば、少しくらい動物たちの暮らす世界が分かるかも知れません。

 

 

こういった匂いとか嗅覚に頼る動物たちの暮らしに関して、人間は以前から気付いていました。

 

それと併せて、ほかの動物たちと比較して、人間は匂いのサポートを得ることがずいぶんと少なくて、匂いを嗅ぎつける嗅覚の感覚が大いに及ばないといった自覚だってありました。

 

古代ギリシアのアリストテレスは「私たちの保有している嗅覚はほかの動物たちと比べてあまりにも劣ったものであって、それと私たちの内に見い出される体感の中でも、特に劣ったもの」だと言いました。

 

アリストテレスの弟子で植物とか香料に関しての著述を記したテオフラストスだっても、動物、植物だけじゃなくて命がないものの内にすら特有の匂いを放つものがあるにもかかわらず、人類はこれらを常に感じ取れるのではなく、匂いに対する感度が高いほかの動物たちと比較して劣ったものだとと判断しています。

 

 

そのような事情も存在してか、匂いが人類に適える役目に関しては、長いこと際立つ注意が払われてきませんでした。

 

臭いものとか腐敗したものが発する匂いは嫌ってそれを敬遠し、快い香りとか美味しそうな香りを愛おしく思うということは、それこそ動物的なものということで処理されてきたからであります。

 

そして、人の嗅覚が動物たちと比較して負けるという事は本当であろうとも、この原因とか意図を知ろうと考える探究すらされてなかったし、西洋近代だとかえって動物たちよりも嗅覚が劣るのを自負する潮流の方が大きかったのです。

 

特例は存在するにしても、中世、近代を通じて西洋思想は理性を感覚と比べ優勢にあるものと考えて受けとり、感覚を考えに入れるケースであっても理性とか美の感覚に関係している(のだと彼らが思った)視覚とか聴覚を特権的で理知的感覚というように見なすことが常だったということであります。

 

ここでは味覚とか触覚と一緒に、嗅覚は本能的で原始的な感覚と考えられていました。

 

 

これは西洋思想に感化された文化にだけ見受けられた事象じゃなくて、明治の前の日本においても同様であって、自分の把握している限り嗅覚が学問のターゲットになったことはありません。

 

日本では香道というのがあって、香を芸道にまで引き上げた部分で、各国に例を見ない熟達された文化であるとはしょっちゅう紹介されることです。

 

茶道とか禅にまで通ずる精神性とか、素晴らしい香水を嗅ぎ分ける技術という部分で本当に優れたものには違いありませんが、香道だと香りを嗅ぐのを「聞香」つまり香を聞くと称しています。

 

比喩からすればすごく奥が深いフレーズであると思うのですが、鼻を使用した機能に聴覚の言い回しを当ててしまうところに、何だか嗅覚を非・内面的、または反・知性的なものと考える着想が見られるような気がするのです。

 

 

現在でも、過度に匂いを嗅ぎ回る人物とか、犬と同じくらいに(当然そういったことはあるはずがないのですが)鼻が利く人というものは、知的と扱われることだって一目置かれることだって断じてありません。

 

どうせ驚かれるほどであります。

 

嗅覚が並み外れて冴えている人物という意味は、比喩的に「あいつは儲け話には鼻が利く」といったことも加味し、何となく胡散臭く受け止められるものなのです。

 

 

こういった〈鼻=嗅覚〉蔑視は古い歴史を持つのですが、そうなった要因の1つに性と匂いとの驚くくらい近しい関連があったのだろうと私は考えております。

 

最低限でも、エロチックなものには必然的に香りが付き纏うといったことが、あたかも暗黙の内に承認されているため、包み隠さずに香りに関して述べるのが憚られる必然性があった感じに考えられるのです。

 

獣みたいな肉欲によりに耽溺する人が本能的な匂いを放つといわれるのはとても広く目にさらされるステレオタイプな思いつきであって、人々は性交の塗れ場においては匂いが発生することだって把握していたし、他方で理性をなくしかねないエロチックな香りの影響にだって充分意欲的であったに違いありません。

 

思想とか生理学の領域において、その他の知覚と比較して感覚が研究相手と見なされるのが少数だったことに対し、下世話な笑い話、猥談、大人びたアネクドート(小咄)の系統だと、性の香り香りと性といったつながりに関してのテーマは事欠かなかったのです。

 

こういったなりゆきが香りについての言及を大っぴらに公共のテーブルで発言するのを躊躇わせ、これが嗅覚の立場悪化に拍車を掛けてきたとも考えられるのです。

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